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My Story by 田中剛

僕は昔から、尊敬する人を見つけて「その人を目標にして生きる」ということをしていました。中学のころは野球部に所属していたのですが、そこで「こんな人になってみたい」と思える同級生の男の子に出会いました。彼は背が高く、スポーツ万能、勉強もできました。ただ口下手で、女の子と話すことは中学三年間ほとんどなかったと思います。僕は彼と友達になり、彼の言うことを信じ、彼のような人になろうとしました。結果、スポーツも勉強もそつなくこなすようになりましたが、僕も中学の間は女の子と話すのが恥ずかしかったです。

 高校生になり、彼とは別の学校に行くようになりました。それで次に、あまり口数の多くない自分の親がどんなことに興味があるのか気になるようになりました。うちの親は共産党員で、政治や経済などの難しい問題に興味があり、組合活動や政治活動を通して世の中を変えてやろうと思っているなかなかユニークな親です。そのころの僕は「こんな難しい問題に確信を持って意見が言えるなんてかっこいい」と自分の親を尊敬の念を持って見ていました。そして大学に入ったあとは、政治や社会学などの学問の本を読み漁り、毎日難しいことばかり考えていました。

 そして大学一回生の秋に初めてJ-Houseと出会いました。そこで関学卒業生のカズさんという人がリーダーをやっていたセルグループに入れてもらい、彼に良くしてもらいました。初めて会ったときから、彼は今まで僕が尊敬していた人たちとは違う何かを持っている、と感じていました。それまで、宗教は生きていく上で便利なのだろうけど、有神論は結局幻想だと思っていた僕は、最初のうち深くまで立ち入らなかったのですが、カズさんを心から尊敬していたので通い続けました。そして妻のジョジョと出会い、クリスチャンになるかどうかを争点にした彼女との二年余りの格闘のあと、神様の働きによってイエス様を信じる決意をしました。そして初めて心からへりくだって聖書を読めるようになりました。聖書を読んでいるうちにイエス様が僕たちのために十字架にかかってくださったことを知り、その意味の深さを知り、人生において目標にすべきモデルはイエス様ただ一人であることが分かりました。今にして思えば、イエス様に出会う前の僕はコミュニケーションが苦手で、本心をなかなか口に出さず、付き合いにくい人間であったと思います。人との付き合いがあまりに少なかったために、性格上の偏りができ、そしてそのせいでますます人と関係が持ちにくかったです。それはバイトをする上で、就職活動をする上で大きな障害となりました。しかし神様はそういった問題の原因、そして問題そのものを少しずつ解きほぐしてくれました。今は人と接することが楽しく、人との関係を通してイエス様のことを伝えていきたいとまで思うようになりました。神様に出会わせてくれたJ-Houseと、神様の計画に感謝しています。

 
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投稿者: : 2012/02/15 投稿先 My Story

 

東日本大地震と心配 by Ps. Katsuya

3月11日に東日本大地震が起こりました。この原稿を書いている4月8日現在でも、震度6という強い余震も含め、何百回もの余震が続いています。福島原子力発電所からの放射能流出がいつ終息を迎えるかの目処もたっていません。地震、津波、原発、風評被害といった何重ものダメージが日本を襲っています。

海外メディアも大きく取り上げ、韓国では日本からの放射能を恐れて、雨が降った時に小学校が何校も休校になったそうです。またある女性がドイツで電車に乗っていたら、「あなたは日本人か?」と聞かれ、そうだと答えるとその人は嫌な顔をしてわざわざ車両を移ったそうです。私は楽観的な方ですが、新聞やテレビの報道を見ていると恐れや心配がやってきます。

このような事に対して聖書からの対処法を学びたいと思います。第一番目は、自分は小さな者だと認める事です。聖書は私たちが霧や風のようなものだと教えています。ヤコブ4:14 あなたがたには、あすのことはわからないのです。あなたがたのいのちは、いったいどのようなものですか。あなたがたは、しばらくの間現われて、それから消えてしまう霧にすぎません。地震や津波がやって来た時、私たちが生涯をかけて積み上げて来たものは一瞬でなくなります。まず自分のはかなさ、有限性を認める事です。

第二番目は神様の存在を認め、その方を信頼する事です。色々な天災、災害、経済的危機、増税が叫ばれると不安になります。その時に私たちの足場を、すぐに変わるものにではなく、私たちを愛し、慰め、御手で導いてくださる方の存在を認めて信頼し、人生の礎にする事です。パウロは言いました。目に見えるものは過ぎ去るが、目に見えない永遠のものは残る、と。聖書は教えています。空の鳥を見なさい、刈り入れも何もしていないのに元気に空を飛んでいる。神様はあなたの事を愛しています。あなたの状況を全てご存じです。

神様を信頼して生きると、本当の心の平安と安心が与えられます。これは“いわゆる”弱い人、無力な人、神頼みをする人、駄目な人ではありません。日本の現状を考えると、本当にロジカルで論理的な選択だと思います。是非一度、マタイによる福音書6:25~34を読んでみてください。また教会の礼拝に参加してみてください。少しずつ神様との関係の意味がわかると思います。

 
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投稿者: : 2012/02/15 投稿先 Monthly Message

 

My Story by 樫原利枝

クリスチャンホームで育った私は、小さい頃から教会に通い、神様の事も普通に信じていました。神様はいるし自分には絶対必要だと解っていたけど、一つ納得のいかない事を抱えていました。それは聖書が教える「神様の御心通りになるように」とゆう事です。私にとってそれは、自分の意思ややり方を殺し、納得がいかない事も全て、神様が言う事にはハイ!と従い、まるでロボットみたく生きる事ととらえていました。それは私にとって、クリスチャンでいることは不自由で何をするにも制限があるように感じて、本当に嫌でした。いつしか、神様は困った時に助けてもらう存在で、一番正しいのは自分になっていました。

そんな生き方が当たり前になって楽しくやっていたある時、私の人生で初めて、自分の力で何も出来ないと思い知らされる事が次々と起きました。困った時は神様に助けてもらう習慣があった私は、神様に「助けて、答えを下さい」と言いながら、同時に、自分は間違ってないし!と頑なに思い続けてJ-Houseに来ていました(笑)。矛盾を抱えながらも、答えは神様にしかないと確信はあったから、祈り続けました。けど一ヶ月二ヶ月しても神様から応えは返ってきません。疲れきった私は最終的に、神様なんかおらん!と思いました。その次の日、ついに神様は私に応えてくれました。それは意外な答えでした。「本当に辛かったね。お前はずっと一人やって言っていたけど、私はずっと側にいたんだよ」とゆう愛に満ちた優しい言葉でした。神様にとって決してイイ子でなかった私は、神様に嫌われていて怒られる…と思っていました。だからその時、あぁ、私が色々悩んで考えて好き勝手していたのも、神様は全て受け止めて許して下さっていたんだ、と初めて理解出来ました。そして初めて心から「ごめんなさい、神様」と言いました。

それから神様に少しずつ色んな物を委ねられるようになりました。そして今まで「自由」だと信じていた色々なやり方や価値観は、逆に私を不自由にさせていたと気づき、不自由だと思っていた「神様の御心」は真の自由だと知りました。それはダンサーを仕事としている私の踊りにも作品にも影響を与え、神様から注がれる自由がそこにも溢れています♪私は今、神様にあって全てが…自由です(^_-)-☆

ヨハネの福音書 8章32節
そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。

Then you will know the truth, and the truth will set you free.

 
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投稿者: : 2012/01/27 投稿先 My Story

 

新しい発見!*イエス・キリストの系図より by Mikiko Iida

最近、聖書を書き写すことは素晴らしいという話を聞きました。それを聞いて、私はやってみたいと思いました。そしてまずは新約聖書マタイの福音書1章の御言葉を書き写し始めることにしました。写した後は、印象的だった箇所や単語に線を引き、時間があればそのことについて考えたり、思いなどをノートに書いているのですが、ただ書き写して終わる時もあれば、新しい発見があったりすることもあり、リフレッシュされる時間になっています。今日は特に、マタイの福音書1章イエス様の系図から、新しい発見や感動したことを分かち合いたいと思います。

私は英語聖書NIV(New International Version)を書き写しているのですが、まず1節を写しながら、すごいことだと感動でいっぱいになりました。1:1 a record of the genealogy of Jesus Christ, the Son of David, the son of Abraham, この下線部分を私の言葉で訳してみると「イエス・キリストの系図の記録」となります。救い主イエス様の系図があり、それを書き写すことができるなんて、ただただすごいことだと思いました。

また3節のところで、タマルというお母さんの名前が記されています。当時の男性中心社会に、母である女性の名が登場することに感動を覚えました。1:3 whose mother was Tamar, また6-12節をまとめて写して気づいたのは、the father of (~の父)という言葉がたくさん出てくる事でした。ちなみに日本語聖書(新改訳)で6-12節を読んでみると、6節エッサイにダビデ王が生まれた。7節ソロモンにレハブアムが生まれレハブアムにアビヤが生まれ、12節エコニヤにサラテルが生まれ、サラテルにゾロバベルが生まれ、と書かれてあり、今まではこの人物は知っている、知らないというように、さらっと人物名を読んできました。しかしNIVには、the father of (~の父)が何十回と出てきて、それを繰り返し写すことで、系図は父親の名前で子が生まれたことを記しているということがよく分かりました。そのことを考えてみると、生まれというのはお父さんの名前なのだと、新しい発見でした。また、ゾロバベルなど自分にとって面白い興味深い名前を見つけると、蛍光ペンで線を引き、後からその人物について調べ、他にも今まで気づかなったこと、知らなかったことに気づき、知ることができ、聖書を書き写すことがこんなに楽しいとは思いませんでした。

聖書は神様からのラブレター、また人生のガイドブックとも言われています。そのような素晴らしい書物を、私達が実際に読んだり書き写したりすることができるなんて素晴らしいことです。直接聖書を書き写すことにより、また「マナ」のようなディボーションテキストを取り入れながら、日々、神様の御言葉に触れることは、私たちの霊的成長には欠かせません。聖書の御言葉が私たちを励まし慰め、また生きる力、糧となってくださる事に感謝します。一人でも多くの人々がその恵みにあずかりますように心から祈りつつ。

 
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投稿者: : 2012/01/27 投稿先 Monthly Message

 

My Story by 竹内沙也加

私が最初にJ-Houseに来たのは、今から約3年前のことです。友達がJ-Houseのことを知り、二人で一緒に来たのがきっかけでした。

J-Houseの人たちは明るくて元気で、初めて来た私にもすごく親切にしてくれました。その時初めて神様のことについて聞きましたが、私は神様の存在を信じていなかったので、話はほとんど耳に入ってこなかったし、自分には関係のない話だな、と思っていました。でもJ-Houseの人たちのことはすごく好きになりました。

最初は数ヶ月に一回くらいしか来ていませんでしたが、だんだんとJ-Houseのみんなに会うのが楽しみになり、来る回数も増え、日曜礼拝にも来るようになりました。礼拝でのメッセージを聞いてもよく理解できず、おもしろくなかったのですが、J-Houseのみんなに会うために毎週来続けました。礼拝に来るようになってもなかなか神様のことが信じられなかった私ですが、いつもこんなに輝いているみんなが信じている神様について、だんだんと興味を持つようになりました。

そして、毎週元気に賛美し礼拝しているみんなの姿を見ているうちに、もしかしたら神様は本当におられるのではないかと思うようになりました。その時から「神様、もしおられるなら私が信じることができるように助けて下さい。」とお祈りするようになりました。それからだんだんと神様のことが信じられるようになり、神様のことをもっと知りたいと思うようになりました。神様は、J-Houseで出会ったたくさんの人達を通して、私に神様のこと教えてくれました。神様を信じることができたことに感謝しています。

クリスチャンになってからの私は、今自分が与えられている仕事や家族のこと、また、毎週当たり前のように礼拝に来られていることなど、いろんなことに感謝できるようになりました。以前よりも考え方が前向きになり、神様によって大きく変えられたと感じています。これからも神様との関係を持ち続け、人々を愛していきたいです。

ネヘミヤ記 8章10節
彼らは更に言った。「行って良い肉を食べ、甘い飲み物を飲みなさい。その備えのない者には、それを分け与えてやりなさい。今日は、我らの主にささげられた聖なる日だ。悲しんではならない。主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である。」(新共同訳)

Nehemiah said, “Go and enjoy choice food and sweet drinks, and send some to those who have nothing prepared.  This day is holy to our Lord. Do not grieve, for the joy of the LORD is your strength.”

 
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投稿者: : 2011/12/28 投稿先 My Story

 

感動しました!あきらめない、ダーク! by Ps. Katsuya

私は熱狂的なNBAファンです(アメリカのプロバスケットリーグ)。バスケットの面白さは、スピーディーでどんどん点数が入り、試合終了まで勝敗が分からないことです。テキサス州ダラスのチームで、ダラス・マーベリックスというチームがあります。このチームは、レギュラーシーズンはまあまあ強いのですが、いざプレーオフ(実際のチャンピオンを決めるトーナメント)になると、非常に弱く、格下の相手に何度も負けていました。

長年NBAファンである私も、ダラス・マーベリックスは勝負弱くて、根本的にチームを立て直さないと絶対に優勝はできないと思っていました。しかし、今年そのマーベリックスが数々の評論家の予想を裏切って、ワールドチャンピオンになったのです。このチームのエースはダークというドイツの選手です。彼は13年連続、負け続けました。精神的に線の細い、勝負弱いダークという印象を持たれていました。しかし彼は、何度も何度も心が砕かれるような敗北を経験しても、バスケットをあきらめませんでした。ベテランの選手になると練習を軽くすませることが多いのですが、彼は誰よりも早くジムにやって来て最後に帰るという、目に見えない努力を継続していました。

そのような影の努力があり、今年ついに、奇跡的な美しいシュートの連続でダラスのチームが世界チャンピオンになりました。私も本当に感動しました。そして、決してあきらめないでコツコツ継続することの大切さを、もう一度教えられました。

私は、日本でミニストリーを始める前は、10年ぐらい経ったら日本もJ-Houseもリバイバルが起こっていて、まさに勝利から勝利を歩いていると思っていました。しかし私の考えと神様の考えは違うことが多々あります。そして私の思いよりも、主の考えの方がもっと素晴らしいです。ダークは何度負けてもあきらめないで立ち上がり、見えない所で練習、努力を続けました。私も、チームJ-Houseも、主が再臨されるまで、忠実に、着実に、キリストの恵みによって強められ、愛に駆り立てられて、時が良くても悪くても、聖書に純粋に従い続けていきたいです。そのような心を神様は喜ばれると思います。

 
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投稿者: : 2011/12/28 投稿先 Monthly Message

 

礼拝について誤解するクリスチャン パート① by Ps. Katsuya

この世的な空しい歩みから、キリストに出会い、永遠の救いをいただいてクリスチャンになる。なんと素晴らしい事でしょう。しかし、本当に多くのクリスチャンが、礼拝について誤解しています。礼拝をささげる事は、私たちが与えられた大きな特権です。天国の大きな部分を占めるのも礼拝です。神様は霊とまことを持って礼拝する、真の礼拝者を求めています(ヨハネ4:23)。今月から数回にわたって、礼拝に対するよくある誤解について共に考え、チームJ-Houseとして最高の礼拝をささげることができるように、アップグレードされていきましょう。

①礼拝の主役は、あなたではなく神様です。

多くの人が、どうしたら礼拝で自分の必要が満たされ、ためになる話が聞け、恵まれ、好きな曲が賛美できるかを考えます。その気持ちはわかりますが、これらの考えの中心は、全て自分です。人間は、自然と自己中心的に考えるようにできています。しかし、思い出してください。礼拝の主役は私たちではなく、神様です。礼拝の一番の目的は、神様に礼拝をささげる事です。神様、あなただけが栄光を受けるべきお方です、と賛美をささげ、宣言する事です。私たちが自分中心ではなく、神様中心で歩もうとする時、天から超自然的な恵みと力が与えられます。

②説教は講演会ではない。

ある人は説教を、有名人や偉い人の講演会のように考えています。人間の面白い話、人間の考えた方法には限りがあり、すぐに飽きてしまいます。面白い話を聞きたいだけなら、吉本へ行った方がいいです。メッセージの時には「主よ、あなたの宮に来ました。僕(しもべ)は聞きます。どうぞお語りください。」と、ダビデのように祈るべきです。人ではなく、その背後で全てを支配し、最高の摂理を導いておられる神様を見ることができるように、祈りましょう。

カインは作物から普通のささげ物を持ってきましたが、アベルは羊の初子の中から最上のものを持ってきました。神様はそのアベルの最高のささげ物に目を留められ、喜ばれました(創世記4章)。私たちも日々の礼拝で、最高のものを主にささげていきましょう。イエス様の愛に駆り立てられて、最高の礼拝をささげましょう!

パート②に続く

 
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投稿者: : 2011/12/15 投稿先 Monthly Message

 

My Story by 久保田至

イエス様を信じた経験を思い出せることに感謝します。

私は教会に来る前からキリスト教について知っていました。2004年に京都のあるサークルに所属し、バレーボールやサッカーなどいろんなスポーツをしていたのですが、同時にイエス様やモーセやイスラエルの三大王、キリスト教の様々な人物についても教えてもらいました。ただ、その時は心から信じることは出来ませんでした。

その年の夏、私は初めてオリンピックをじっくりと見ました。日本は想像以上に大活躍していました。金メダルを16個も取り、前半は、大国のアメリカやロシアや中国ともいい勝負をしていました。私は、日本は神様に愛されているなと思い、自分も外国の人とスポーツをしてみたいと思うようになりました。外大に通っていたので、留学生と友達になろうと決めました。そして11月ごろに、サイモンやカナーという留学生と友人になり、金曜日の昼休憩にフリスビーを使ったアルティメットという競技をすることになりました。私は京都のサークルで教わったサッカーのテクニックを使いながら、プレーをしました。当たり前の事ですが、味方からフリスビーをもらう時は敵がいないところでもらい、敵がフリスビーを持った時は敵をマークします。基本的に球技は嫌いなのですが、アルティメットは自分でもできるスポーツだったし、初めて外国の人とスポーツをすることできたので、とても楽しかったです。春休みも、サークルに行かない時は、フリスビーをしに大学まで行きました。今思えば、それも神様の計画だったのかもしれません。

春休みの終わりごろ、私はFunky Clubで来ていたJ-Houseの人たちと運命の出会いをしました。そして、アメリカ人のジョシュアさんと友人になり、Funky Partyのチラシをもらいました。大学二回生になってからも、水曜日に大学でFunky Clubの人たち、ジョシュアさんや韓国人宣教師のミッションさんと交流していました。ある日、神様に、自分と神様の関係についてジョシュアさんに話すように言われた気がしたので、携帯でジョシュアさんに、神様をあまり感じる事ができないと話しました。ジョシュアさんは私をFunky Partyに誘ってくれました。Funky Partyに行って、驚きました。みんなテンションが高いし、ジャンプしながら賛美してるし、結婚式のようなバイキング料理があるし…。ここは本当に教会なのかと感じ、J-Houseに来たいと思うようになりました。しかし週末は用事があったので、おそらくもう来られないだろうなとあきらめていました。でも神様はそんな私をあきらめませんでした。四月の終わりの金曜日が祝日だったので、ジョシュアさんに言ってJ-Houseに泊まりに行くことにしました。木曜日の夜に、ジョシュアさんやミッションさんと神様について語りました。その時、なぜか分かりませんが、本当の神様を知りたい、イエス様を心から信じたいと思い、彼らと一緒にイエス様を信じるお祈りをしました。祈り終わった時、震えが止まりませんでした。結局、木曜日から日曜日までJ-Houseに泊まり、日曜礼拝にも出席しました。それから毎週、礼拝に参加するようになりました。そしてその年の夏に、あまり深く考えずに洗礼を受けました。早すぎたかなと感じましたが、今考えると、あの時受けて良かったと思います。そのことによって命の書に名前が書かれたからです。

振り返ってみると、神様は幼い時からずっと私を愛してくれていて、ジョシュアさんを通して救ってくれたんだなと感じます。これからも、天国に行くまで神様を見上げて礼拝していきたいです。

マタイの福音書 6章34節
だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。

Therefore do not worry about tomorrow, for tomorrow will worry about itself.  Each day has enough trouble of its own.

 
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投稿者: : 2011/12/10 投稿先 My Story

 

「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。」(ピリピ4:4) by Mikiko Iida

ある朝、聖書を読んでいると、この御言葉が心にとても響いてきました。そして「いつも」というのは、すごいことだと思いました。人生には楽しい時、嬉しい時、悲しい時、辛い時、物事がうまくいかない時、悩む時、色々あります。何か良いことがあった時は、素直に感謝し喜ぶことができるでしょう。しかしそうでない時にも、「主にあって喜びなさい。」と、筆者であるパウロは私達に勧めています。しかもこれは獄中書簡の一つなので、パウロは牢獄の中で、「いつも主にあって喜びなさい」と書いたのです。もし、どんな時でも私達一人一人がこの御言葉のように生きることができるなら、私達とそして周りにいる人々も幸せでしょう。しかし、どのようにしたら、このように喜びの人生を歩むことができるのでしょうか?

具体的な秘訣は、5-7節に記されています。まずは5節の「主は近いのです」という箇所をみていきたいと思います。主が近いとは、主が空間的に近くにおられるというよりは、主の再臨が時間的に近いことを指すようです(参照ヤコ5:8-9)。子どもの頃は早く大人になりたくて、いつ大人になれるのかと思う時、時間がとても長く感じました。しかし大人になった今、この世での人生は短いなと感じています。この短い人生の中だからこそ、与えられている時間を楽しみたいものです。私達には不可能なことですが、主にあって、どんな時、どんな状況でも、楽しみ喜ぶことができるのです。

次に、「いつも主にあって喜びなさい」を可能にするため、私達自らのするべきことが、5, 6節に具体的に書かれています。まず一つ目は、「すべての人に対する寛容な心」です。そして二つ目は、「何も思い煩わないで、感謝と共にささげる祈りと願い」です。そして7節には、「人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリストにあって守ってくれます。」とあります。この7節が「いつも主にあって喜びなさい」の源と言えるでしょう。神様の平安、キリストにあって、私達はいつでも、どんな状況でも、喜ぶことが可能なのです。人間が自分の力でいつも喜ぼうと思っても、不可能です。多くの人が状況によって、喜べたり喜べなかったりするのが現状だと思います。主の再臨を待ち望みます。そしてその日まで、与えられているこの人生をいつも主にあって喜び歩めるようにと、主が聖書という書物を通し、私達に知恵を授けてくださっています。ハレルヤ!主の御名を称えます。これからも、J-Houseが寛容で感謝と共に祈りと願いをささげる健全な教会でありますように、心から祈ります。

 
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投稿者: : 2011/12/10 投稿先 Monthly Message

 

My Story by 桜井希弥子

私は高校生の時から、大学性になったら一人暮らしをしたいと思っていました。なんとなく、家庭は私の居場所じゃないと感じ、早く家を離れて自立したかったからです。幸いにも関学に合格し、神奈川からはるばる関西までやってきました。家族と離れ、大学に入学し、たくさんの自由と選択肢が与えられました。しかし、毎日ほぼ部活といった感じであまり遊ばない高校時代を過ごした私にとっては、その自由をどう使ったらよいのかわからず逆に不安だったため、また部活の世界に入ることにしました。近くに知り合いが一人もいない環境の中で、自分では意識していない不安があり、部活に入れば、四年の間ある程度の経験が用意されたレールの上を進んでいけてとりあえず安心だろうという思いも、少なからずありました。

マネージャーの仕事はとても新鮮だったし、部員もいい人だったし、自分の仕事ぶりもある程度認められたので、そんなに悪い気持ちにはなりませんでした。みんなとわいわいくだらない話で盛り上がることも好きでした。でも、拘束時間がかなりありました。お金もたくさんかかりました。続けていくうちに、生活の大部分が「部活のため」のものとなり、心の休まる時もなく、あまり表には出さなかったけれど何度も何度も病みました。この生活はなんか違う気がするなと思いつつも、その現状に対処する方法がわかりませんでした。一方で自分を追い込むことで心を満たそうとする自分もいたので、無理に自分を励まし、納得させながら続けている状態でした。これが大学三回生の秋でした。

そんなある日、関学の食堂で一つの出会いがありました。それは後にJ-Houseへ導かれるきっかけとなりました。その時は正直、不思議な出会いもあるものだなぁと思ったくらいでしたが、FFNのサークルを通じてJesus Soldiersとの関わりも増え、普通の会話をする以外にも、時々学校でライフブックをするようになりました。しかし、なるほど、と思うことはあっても、それ以上の興味は湧きませんでした。ブリッジもみことばもあまり理解できませんでした。

翌年一月、初めてJ-Houseに行きました。教会というものも初めてで、何もわからないまま一日を過ごしましたが、その日の帰り道、なんとなく心が軽くなっているように感じました。何度か続けてメッセージを聞いている中で、その時の自分の生活について考えさせられ、漠然と、私にはもっと考えるべきこと、するべきこと、知るべきことがあるのではないかと思うようになりました。そして私の中で何かが変わり、二週間くらいして、私は神様と関係を持つことに決めました。

しかしその後すぐに、選択を迫られました。今までの生活を費やしてきた部活をとるか、数回しか行ったことがなくてあまりよく知らないJ-Houseをとるか、両立するかという選択です。すごく悩み、何が一番いいのか考えました。たくさんの心の葛藤がありましたが、J-Houseに行けないと思うととても悲しくなり、私の心は確実に神様を求めているということに気づきました。そして最終的に部活を辞めることにしました。

神様と歩むことを決め、自分の中での方向性が変わってからの生活は、全く違うものとなりました。神様は、みことばを理解する力を与えてくださり、たくさんのことを学べるようにしてくださいました。それまで持っていなかった、心から信頼できるもの、落ち着ける場所、同じ神様でつながっている兄弟姉妹を与えてくださいました。私の心が本当に求めていたもの、欠けていたものを、神様が与えてくださいました。このようにして神様と出会うなんてことは頭の片隅にもありませんでしたが、これまでの出来事の一つでも欠けていたら、このように神様と出会うこともなかったと思うと、神様の計画は本当に素晴らしいなと思います。このように救いの手を差し伸べてくださり、日々変わらない愛で心を満たしてくださる神様の存在に感謝です!

エペソ人への手紙 2章8節
あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。

For it is by grace you have been saved, through faith—and this is not from yourselves, it is the gift of God—

 
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投稿者: : 2011/12/10 投稿先 My Story

 
 
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